エチオピア航空機墜落事故~UNHCRの同僚 ナディア、ジェシカ、ジャクソンをしのんで

© UNHCR/Françoise Jaccoud

現地時間3月10日朝、アディスアベバからナイロビに向かう途中に発生したエチオピア航空E302便の墜落事故で、UNHCRは3人の同僚を失いました。

Nadia Adam Abaker Ali

ナディア(享年40)は、明るい笑顔が印象的な女性でした。

「オフィスでも一番の働き者で仕事熱心。難民、特に女性と子どもの生活が改善されるよう懸命に努力を続けていました。情が深く愛にあふれ、真の人道支援者でした」と、同僚の保護官は振り返ります。

2010年、UNHCRスーダン ニャラ事務所にコミュニティーサービス アシスタントとして着任。ダルフール紛争から逃れてきた人々の支援を担当しました。2012年からは、近隣の中央アフリカ、南スーダンから大量に逃れてきた難民への対応を最前線で行いました。

故郷を追われた人たちが性的・ジェンダーに基づく暴力から守られ、基本的なサービスが適切に受けられるよう、使命感を持って難民支援に取り組んでいました。中央アフリカから逃れてきた子どもたちが、初等・中等教育にアクセスできるための環境整備に尽力。健康科学の学位を生かし、難民一人ひとりが適切なタイミングで、質の良い医療が受けられるよう、リファラルシステムの強化でも専門性を発揮していました。

どんな困難に直面しても、決してあきらめなかったナディア。適切な判断、優れたパフォーマンス、プロ意識で、ダルフールの現場で解決策を導き出してきました。昨年10月にはその実績が評価され、保護官アシスタントに昇進しました。

UNHCRに入る前は、ニャラとハルツームで健康分野の専門家とし活躍していました。アラビア語が堪能。夫と6歳の娘がいました。

「ナディアは単に同僚の一人ではない。みんなにとってのきょうだい、そして親友でした。周りのことをいつも気にかけ、必要なサポートをし、優しい心遣いができる人。太陽のような笑顔で、前向きで明るい彼女は、これからもずっと、私たちの心に生き続けます」

 

Jessica Hyba

ジェシカ(享年43)は今年2月、UNHCRソマリア モガディシュ事務所に上級渉外官として着任したばかりでした。世界で最も脆弱な人たちの力になりたいと情熱を持ち、UNHCRの中でも過酷な現場に志願していたと、同僚たちは口をそろえて話します。

「ジェシカは挑戦を続ける人。たとえリスクが高くても、大変な現場に行きたいと。そしてそこはまさに、本当に支援を必要としている人が多くいる場所でした」とジェシカを知る同僚は振り返ります。

今回の赴任地が決まった時も、まさにソマリアが国をあげて、30年近く続く紛争、強制移動に対する問題に、立ち向かっているところでした。ジェシカはドナーとの調整役として、UNHCRの現場のニーズ、成果をレポートし、多くの支援を集めようと奔走していました。

UNHCRでのキャリアは、2013年にイラクでスタート。繰り返し起こる緊急事態の中で、シリア難民、国内避難民の対応に尽力し、ジュネーブ本部に異動してからも、中東、北アフリカを担当しました。人事部に異動になった時はスタッフの待遇に誠実に向き合い、新しい制度の導入に向けて動き、インターン関連の経費の一部が保証されるようにもなりました。

ロンドン大学東洋アフリカ研究所(SOAS)では公共政策の修士号を取得。UNHCRに入る前は、ケア・カナダ、ケア・インターナショナル、ユニセフで、長年にわたり献身的に人道支援に取り組んでいました。

最愛の9歳と12歳の娘は、ジェシカにとって、この世でかげがえのない宝物でした。いつも娘たちのことを一番に考え、自然の中で一緒に遊び、特にカナダやフランスでキャンプをするのが好きでした。

友人たちはジェシカのことを、「自然にみんなを結びつけてくれる人」だと表現します。難民支援を通じて世界を広げ、共感力、組織をまとめるリーダーシップがあり、ユーモア、生きる力にあふれた彼女のことを誇りに思っています。

 

Jackson Musoni

ジャクソン(享年31)は、陽気で楽しく、でも、助けを必要とする人がいればどんな苦労も惜しまない人でした。

2014年にUNHCRに入り、ルワンダ南部のブタレが初任地でした。当時の同僚は、情熱的に仕事に取り組み、特に子どもたちを助けるために何でもする姿が印象的だったと言います。ある日、現場で出会った親のいない未成年の子の手を引いて事務所に連れてきて、同僚たちに登録を迅速に進めるよう伝えたこともありました。

上司であれ、アシスタントであれ、分け隔てなくみんなに話しかけ、場を明るくする力を持っていました。周りからできる限りのことを学ぼうと、野心にもあふれていました。

ルワンダでは上級保護官アシスタントとして、キゲメ難民キャンプに逃れてきたコンゴ難民の受け入れ、カウンセリングを担当。誠実で誰からも尊敬される、プロ意識の高い仕事ぶりで、子どもや性暴力の被害者など脆弱な立場にある人々への支援に奔走していました。

2017年後半から、スーダン 東ダルフール事務所の准フィールド調整官に。現場で共に汗を流し活動していたすべての人が、“チームの一員”だったジャクソンの予期せぬ突然の死を受け入れられずにいます。

南アフリカのヨハネスブルグ大学で国際関係学を学び、ルワンダの首都キガリにあるマウント・ケニア大学で法政学の修士号を取得。2011年から14年まで、ルワンダの外務・国際協力省で勤務していました。

友人でもあった同僚は、温かく熱意ある人柄、ルワンダのバスケットコートでの巧みなプレーを思い出すと言います。

「いつも笑顔で、とにかく情熱的。本当に素晴らしい人を失いました。彼のいないバスケットコートはまったく違う場所に見えます」。8歳、5歳、4歳の子どもを残して亡くなったジャクソン。彼が信念を持って取り組んできたことは、これからもずっと難民支援の現場に残っていきます。

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ナディア、ジェシカ、ジャクソンがUNHCRに残してくれた遺産を胸に刻み、UNHCR職員一同、3人の思いを継いで業務に励んでまいります。

 

原文はこちら(英語)