スーダンのダルフールにおける国内避難民の保護と帰還にかかわる国連諸機関やUNAMID※1そして政府・非政府諸機関の活動の連絡調整を行っています。2003年頃から当時「世界最悪の人道的危機」として注目を浴びるようになったダルフール紛争ですが、紛争激化から10年以上の歳月が流れ、またアフリカの他の地域や中近東地域での人道的危機の報道の陰に隠れ、世界から忘れ去られようとしているように感じます。
しかし、ダルフールではいまだ平和や安定とは程遠い状況が続いており、特に2013年からは紛争の再燃ともいうべき状況が始まっています。ダルフール内の一部の安定した地域では難民・避難民の帰還も始まっているのですが、その数を上回る人々が新たに住んでいた村々を追われ、ダルフール域内で国内避難民や隣国チャドで難民となりました。ダルフールはフランスに匹敵するほどの面積である上に、通信も移動も難しい地域が多く正確な数を掴むのは難しいのですが、2013年12月の段階で180万人を超える人たちが国内避難民として不自由で危険な生活を強いられています。
その一方で2009年以来、多くの国際NGOがダルフールでの活動を禁止・国外追放処分とされ、国連機関も活動の縮小を強いられています。また紛争や犯罪増加による安全確保の難しさから、またスーダン政府によって課せられた厳しい移動制限によって、UNHCRスタッフの国内避難民に対するアクセスは大変限られたものになってきました。限られたリソースの中で、効果的に国内避難民の保護を続けていくにはどのような方法が可能かを国連諸機関やNGOと協力して模索しています。
※1 国連とAUによるダルフール平和維持のための合同ミッション
よく聞かれる質問なのですが、特にはっきりとしたきっかけは思い出せません。大人になって社会の一員として働き出す自然な流れで今の仕事を選んだに過ぎないのだと思います。それでもなぜ敢えて海外の紛争地の仕事を始めたのかと問われれば、そこにほんの少し、世界で起こっているさまざまな出来事に対する責任感みたいなものを感じていたのかもしれないです。
やはりキャンプなど現場に赴いて、実際にそこで生活している人たちに直接話を聞くことが出来るということがやりがいに通じています。(実際は調整や管理の仕事に忙殺され、なかなか時間が取れないうえに、治安の悪化を受け現地政府が移動許可を出してくれないのが現状です。)またこんな仕事をしてなければ行けないであろう場所に赴き、見られないであろう光景を目撃し、立ち会えないであろう瞬間に身を置くことが出来るのは、この仕事の喜び(決して良い瞬間ばかりでは限りませんが)のひとつです。
多くの時間と労力をかけて作り上げた仕事が、治安の悪化や紛争によって中断を余儀なくされることが何度もありました。つらい体験でしたが、一緒に働いていた現地の同僚や政府カウンターパートに、仕事上の経験という目に見えないものを残せてきたのだと考えて納得するしかなかったです。
それからアフリカの勤務地は家族を連れていけない場所が多いです。家族に必要とされている時や、家族の重要なイベントの際に帰れないことは申し訳なく感じています。またストレス、高い病気のリスク、また治安上の問題により外で運動ができないなど、体調を崩しやすい環境にありながら、医療設備の不十分な勤務地が多いため、健康の維持には神経を使います。
はっきりとはわかりません。それは「共感」であったり、「責任感」や「使命感」であったり、「プライド」であったり、その時によって異なります。一つの原動力ではなく、いくつかの要素が組み合わさったものだと思います。
『星の王子さま』の著者として知られるサン=テグジュペリは、自身の郵便飛行士としての体験をもとに『人間の土地』という本を書いています。この時代には人道支援などという職業概念はなかったと思うのですが、この本は自分にとってフィールドでの人道支援活動やそこでの生活に意味を与えてくれる、まさにバイブルといってもいい存在です。『人間の土地』はどの部分を抜粋しても、多くの示唆を与えてくれる言葉にあふれています。その中でも、次の一節を好きな言葉として挙げたいです。
国内避難民の保護という分野はUNHCR内部でも、活動内容に明確なコンセンサスが存在しない分野です。ダルフールでの活動経験を活かして、UNHCRの国内避難民保護における活動モデルの形成に貢献できればと思っています。
また、もう少し情報発信をする必要性を感じています。世界が急速に他者に対する寛容さを失いつつあることは明らかです。想像力の欠如が他者を理解し他者を受け入れる上での大きな障壁になっています。世界に対する想像力を助けるためには、自分の住む世界の外側への関心を高めると同時に、想像を支える情報の絶対量が必要です。そのために微力ながらできる限りの貢献をしたいという抱負を持っています。
テレビや報道写真で見ると、難民は私たちととても異なった人々に見えるかもしれません。姿格好も、暮らしぶりも、なにかとても遠い世界のものに感じます。しかし難民のそばに身を置いて暮らしてみると、私たち人間の生活は互いにとても似通っていることを感じます。人々が生活の中で感じている喜びや悲しみ、人々の間の愛情や憎しみ、それぞれの人生における夢や葛藤といったものは、日本の人々がそれぞれの生活で感じているものと何ら異なることがありません。自分とは関わりのない世界の出来事して遠ざけるのではなく、私たちと彼らの間にある本質的な共通点を感じてもらえたらと思います。
<プロフィール>
茨城県出身。東京学芸大学教育学部を卒業後、インド国立デリー大学への留学を経て、ブリストル大学大学院修了。1997年から国際赤十字赤新月社連盟で自然災害救援活動を中心に8ヶ国で働く。2002年にJPOとしてUNHCRに加わり、以来ケニア・リベリア・パキスタン・フィリピン・タンザニア・スーダンで勤務。主に難民・国内避難民の保護と第三国定住を担当する。