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UNHCR親善大使MIYAVI、ヨルダンへ ~難民一人ひとりの声を未来へつなぐ旅

ストーリー

UNHCR親善大使MIYAVI、ヨルダンへ ~難民一人ひとりの声を未来へつなぐ旅

2026年7月16日
GWA

シリア難民の家族の家にはたくさんの楽器が。MIYAVIとの演奏を家族で楽しみにしていた

5月中旬、空港に降り立つと、乾いた熱風が吹き抜けました。3年ぶりとなる現場視察。国内外でミュージシャンとして活躍するMIYAVIが、UNHCR親善大使として、故郷を追われた人々と向き合う旅が中東ヨルダンで始まりました。

隣国シリアをはじめ、さまざまな国々から逃れてきた人々を長年受け入れてきたヨルダン。現在も約40万人の難民が暮らし、その多くをシリア難民が占めています。

シリアでは2024年12月の政変を受け、これまで約20万人がヨルダンから故郷へ戻りました。しかし、安全や住まいへの不安、教育や医療などの基礎サービスへのアクセス不足、そして厳しい経済状況などから、多くの人はいまだ帰還を決断できずにいます。

2026年5月にヨルダンを訪問したUNHCR親善大使MIYAVIのダイジェスト動画

アンマンで出会った家族と、音楽がつないだ時間

ありのままの現実を、この目で確かめたい――。そんな思いでMIYAVIが最初に向かったのは首都アンマン。シリアのなかでも激しい戦闘が続いたアレッポから、2012年に逃れてきた一家を訪問しました。

7人家族が暮らす家は、リビングと寝室を兼ねた1部屋と小さな台所だけ。父親は重い持病のため働くことが難しく、家族は現金給付で家賃や食費を賄っています。

この家で暮らし始めて7年。雨が降ると、狭い台所には天井から水が落ちてきます。故郷を知らないまま育つ子どもたちは、「自分のアイデンティティはどこにあるのか」という問いを抱え始めています。

それでも今は、この場所で暮らし続けるしかない。シリアへに戻る選択肢も見通せない――。MIYAVIはそんな家族の思いに真剣に耳を傾けていました。

続いてMIYAVIが訪れたのは、NPOのイエズス会難民サービス(JRS)が運営する施設でした。シリアからの難民が大多数を占めるヨルダンですが、イラク、イエメン、スーダン、ソマリアなど、数万人にいる少数派の難民コミュニティを対象に、JRSでは語学やアート、こころのケアなどを提供しています。

「私たちは難民のイメージを変えたいのです。彼らは、支援を受けるだけの存在ではない、社会に美しい変化をもたらす力を持っていますから」。JRSのスタッフの言葉に、MIYAVIもうなずきます。

この日集まったのは、イラクやスーダンなどさまざまな国にルーツを持ち、JRSで音楽を学ぶ若者たち。企画されたのは、MIYAVIとの特別ジャムセッション。ヨルダン人ミュージシャンでJRSでボランティアとして音楽を教えるヤザンさん、MIYAVIとともに音を重ねると、集まった参加者は自然と歌を口ずさみ、手拍子を打ち、会場は笑顔に包まれました。

音楽には、言葉や文化、国境を越えて人と人をつなぐ力がある――。そう信じて世界各地の難民を訪ねてきたMIYAVIにとって、この日もまた、ギターの音色が人々を結びつけ、互いを知り、心を通わせる時間となりました。

ザータリ難民キャンプで聞いた、シリア難民のいま

翌日、MIYAVIが向かったのは、アンマンから北へ車で約1時間半、シリア国境近くにあるザータリ難民キャンプです。2012年に開設されたこのキャンプには、現在も約5万人が暮らしています。

広大なキャンプを車で進むと、日本の支援を受けたコミュニティセンターが見えてきました。裁縫やパソコン、絵画、スポーツなどを学びながら人々が交流し、将来につながる知識や技能を身につけることができます。敷地内のあちこちには、日本の支援を示す日の丸が掲げられていました。

MIYAVIの姿を見つけると、子どもたちは一斉に駆け寄ってきました。ギターを弾けば歓声が上がり、次はサッカー。夢中でボールを追いかける子どもたちに、MIYAVIも汗だくになりながら応えます。

「もっと子どもたちと過ごしたかった!」

別れ際にそう漏らした言葉からも、その時間がどれほど特別だったかが伝わってきます。子どもたちと遊び、笑い、同じ時間を共有すること。それは、MIYAVIが親善大使として現場を訪れるたびに大切にしていることの一つです。

一緒に汗を流した子どもたちにはサッカーボールをプレゼント。「また会おう」。そう約束を交わし、名残を惜しみながらセンターを後にしました。

続いて訪れた医療施設も日本の支援によって運営されていました。プライマリ・ヘルスケアを中心とした包括的な医療サービスが提供され、キャンプ外の専門医療機関へつなぐ紹介(リファラル)体制も整えられています。しかし、世界的な人道支援資金の不足により、緊急医療やメンタルヘルスケアなど、一部の重要な医療サービスには制約が生じています。

その後、MIYAVIはコミュニティセンターで音楽を教えるシリア難民の男性の自宅を訪ねました。2015年に家族とともに避難した彼は、UNHCRの現金給付や奨学金を活用して大学へ進学。現在はキャンプで暮らしながら、子どもたちに音楽を教えています。

「10年前、キャンプで暮らし始めた頃は、未来を思い描くことができませんでした。でも音楽に出会い、自分で学び続けるうちに、人生になくてはならないものになりました。音楽が僕を支えてくれました」。その言葉に、MIYAVIは静かに耳を傾けます。

続いて行われたキャンプ内で暮らす人々との対話では、多くの人が同じ思いを口にしました。

「帰りたくないのではありません。帰れないのです」

故郷では家が壊れ、仕事も十分にありません。教育や医療などの社会サービスも十分ではなく、物価の高騰などの事情も生活再建を難しくしています。

一方で、長期化するキャンプでの暮らしにも課題があります。電力の利用時間には制限があり、専門医療を受ける際には高額な自己負担が生じることもあります。また、就労許可の取得が難しく、安定した収入を得ることも容易ではありません。

難民キャンプひとつとっても、一人ひとり異なる人生と、未来への思いがあります。ザータリでの一日は、その現実をあらためて実感する時間となりました。

現場で見たことをつなぐ、一人でも多くの人に

今回のヨルダン訪問でも、MIYAVIにはかけがえのない多くの出会いがありました。

アンマンで出会った家族、JRSでともに音楽を奏でた難民の若者たち、ザータリ難民キャンプで未来への思いを語ってくれた人々。そして、今回の視察に同行し撮影を担当したシリア難民のフォトグラファーや、現地で難民支援に取り組む日本人・・・。それぞれが置かれた状況のなかで、前を向き、自分にできることを積み重ねていました。

「誰もが現場を見ることができるわけではありません。だからこそ、自分が見て、感じたことを、一人でも多くの人に伝えていきたい」。親善大使として現場を訪ね、一人ひとりの声に耳を傾け、その思いを社会へ届けること。それが、MIYAVIがこの活動を続ける理由の一つです。

今回もMIYAVIは、楽器製造メーカー「フェンダー」の協力で持参したギターをコミュニティセンターへ寄贈。「このギターが、一人でも多くの子どもたちに、新しい夢や希望と出会うきっかけになればと思っています」と熱く語ります。

そして、帰国から約1カ月後に迎えた6月20日の「世界難民の日」。MIYAVIはヨルダンで出会った人々の思いを胸に、さまざまな場で、故郷を追われた人々の現実や、自らが現地で見て感じたことを伝えました(世界難民の日メッセージオンライン報告会アーカイブ)。

来年、UNHCR親善大使就任10年を迎えるMIYAVI。「最初は『俺が変えてやる』くらいの気持ちで始めた活動でした。でも現実は、あまりにも複雑で、問題はあまりにも大きい。それでも、音楽を通じて少しでも貢献できることがあると信じてやっていますし、これからも続けていきます」

現場で出会った一人ひとりの声を届ける旅は、これからも続いていきます。

▶UNHCR親善大使MIYAVIの活動はこちら