スペインで暮らす難民の新しい人生と新たな課題
スペインで暮らす難民の新しい人生と新たな課題
マドリッド、スペイン、2013年7月25日発
イブラヒムと家族は1年間暮らしたマドリッドのレセプションセンター(一時滞在施設)を出て、初めて「自分の家」となるアパートに移るように言われたときあまり喜べなかった。
このような申し出があればほとんどの人は喜ぶだろう。しかしイブラヒム、妻のアワティフ、そして3人の子どもたちはスーダンからやってきた難民なのだ。1年前に暑くてほこりっぽいチュニジアの難民キャンプから移動してきてからというもの、彼らは異国の地に慣れようと努力を続けていたところだった。
マドリッドでレセプションセンターを運営するサンティアゴ・ガルシアは「親族も友達もおらず、私たちが唯一の知り合いだったので当初はレセプションセンターを離れるのを嫌がったんです。」と言う。
レセプションセンターで家族は健康カードや国際保護の書類を手に入れるサポートのほか、スペイン語のレッスンや社会に統合するためのカウンセリングを受け、子どもたちは学校に入学した。
レセプションセンターは難民の生活支援において重要な役割を果たすが、一方でUNHCRと現地のNGO、そしてスペイン政府は協力し、再定住した難民が少しでも早く自立できるよう支援している。家と呼べるアパートに移り住むことは、新しい社会に溶け込むための重要なステップだ。
「しばらくの間、わずかな経済支援を受けながら生計を立て、現実と向き合うことは彼らにとっていいことだ。」スペイン社会に馴染んでいくうえで様々な困難が待ち受けているが、子どもたちは両親より早く環境に慣れるだろうとガルシアは語った。
イブラヒムはスーダンの南コルドファン州で生まれた。そこでは石油をめぐる南北の内戦によって、多くが移動を強いられた。南スーダン独立後も、新たな争いに巻き込まれた何万人もの人々が南スーダンへと避難して行った。イブラヒムは1990年代、スーダンの首都ハルツームで政府批判をしたとして逮捕、投獄され、幾度も拷問を受けたという。1995年に親戚のいるリビアまで数週間かけて避難した。そして避難先のリビアで妻となるアワティフと出会い、結婚。のちに2人の男の子と女の子を1人をもうけた。
イブラヒムは様々な職を転々としたが、リビアで生計を立てるのは困難を極めた。「アラブの春」の混乱を受け、多くのアフリカのサブサハラ出身者同様カダフィ政権を支持していると疑われ、イブラヒムはチュニジアへ避難せざるを得なかった。
家族はその後チュニジアのチョウチャ難民キャンプに辿り着き、リビアから逃れてきた何万人もの難民のために建てられた一時的なテントで数ヶ月過ごした。そして昨年7月、イブラヒム一家を含めた80名の難民がUNHCRの推薦を受け、再定住プログラムでスペインへ移送された。
マドリッドは安全で居心地が良いと言うイブラヒムだが辛い過去を忘れるにはまだ時間が必要だと言う。「今一番大切なのはスペイン語の習得だと分かっているが、記憶が頭をよぎってどうしても集中できないんだ。」と、英語で話してくれた。
家族とアパートに住むことが出来て幸せだというイブラヒムは、スペイン語を流暢に話し、学校にも慣れて友達を作ることができた子どもたちが誇らしいと話した。一方でイブラヒムと妻のアワティフはスペインの不況のあおりを受けるつつ、仕事を探している。
命を脅かされるような試練を乗り越えたイブラヒムは、スペインとUNHCRに与えられたチャンスを精一杯いかす堅い決心を胸に、「これまで生き延びることが出来たのだから、子どもたちにより良い未来を与えられるはずだ。」と語った。
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