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【シンポジウム レポート】明日へのチカラ、どうする日本

【シンポジウム レポート】明日へのチカラ、どうする日本

1 1月 2011

1951年「難民の地位に関する条約」採択60周年及び日本の難民条約加入30周年を記念するシンポジウム「明日へのチカラ、どうする日本」が11月17日、国連大学本部のウ・タント国際会議場で開催された。UNHCR駐日事務所の主催、外務省、法務省、国際協力機構(JICA)の共催で行われたこのシンポジウムには、政府、国会関係者、市民団体、難民、大使館職員、学生など300人以上が参加した。このシンポジウムは1951年「難民の地位に関する条約」採択60周年及び日本の難民条約加入30周年を記念し開催されたものであり、二部構成で議論がなされた。

第一部では日本の過去30年の難民保護及び人道支援の実績を振り返りつつ、12月7日〜8日にジュネーブで開催される閣僚会議において日本政府が表明する予定の、難民保護・支援の一層の強化を目指した国家誓約への具体的な内容について各関係者から提言が紹介された。第二部においては、世界が直面する自然災害の脅威によって、避難民が増加している問題を取り上げ、この地球規模の課題に国際社会が今後対応していく上での、日本の役割について、様々な意見が交わされた。

冒頭の開会の辞で、UNHCR駐日代表のヨハン・セルスは会場に集まった参加者を歓迎し、3月11日の東日本大震災は、誰でも自分の意思に関わらず、家を追われる状況におかれる可能性があることを再認識させた、と述べた。日本政府によるこれまでの世界各地への人道支援、日本在住の難民保護への尽力に心から感謝を表した。
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【第一部:難民保護と人道支援における日本の役割: 成果と課題】

山根隆治外務副大臣は、外交政策の柱の一つである「人間の安全保障」の理念に基づき、日本政府は難民・避難民への人道支援を行ってきたことを強調し、東日本大震災という未曾有の災害に見舞われ、復興に精力を傾けている現在においても、日本の人道支援に対する姿勢は変わらない、と述べた。 スピーチの全文はこちら

平岡秀夫法務大臣は挨拶の中で、1970年代後半以降、日本政府が行ってきた難民庇護制度の充実・発展についての歴史を振り返り、特に難民申請審査制度の分野でのめざましい進展について語った。また最近では、収容の問題への対処について、官、民連携によるパートナーシップが強化されていることにも触れた。 スピーチの全文はこちら

法務大臣は、[これまで積み上げてきたUNHCR駐日事務所、関係各国、各団体との信頼関係を大切にし、]国際社会の責任ある立場にふさわしい難民行政を確立し、国際貢献を果たしていくことを約束した。

UNHCR国会議員連盟事務局長の逢沢一郎衆議院議員は、今年が国会議員連盟の創立10周年にあたることに言及し、またシンポジウム当日の午後に逢沢議員が発議者となって「難民の保護と難民問題の解決策への継続的な取組みに関する決議」案が全会一致の賛成で採択されたことを報告した。この決議は、国会議員の決意であると同時に、日本国政府の決意、国民の決意であると語った。
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緒方貞子国際協力機構理事長は日本の条約加入30年の歴史は、たくさんの人々が熱心に難民の保護と支援の事業に取り組み、それをいかに普及するかを考えてきた年月の証であると述べ、日本が難民問題を自らの問題として考え、行動するようになってきたのは、1970年代後半に起こったインドシナ難民問題への対応を通してであったと振り返った。最初にこの問題に対応しようとした動きは民間からあがり、この当時に設立された市民の団体が、今日難民支援事業に従事している日本のNGOの草分け的存在となったし、また、アジアの大国となりつつあった日本の国際的責務として、難民問題に対応しなければならないという認識が難民条約の加入につながったと述べた。
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国内での難民認定に関しては、初期は厳しい認定基準が採用されたこともあったが、最近では、難民として認められる人の数も増えてきているばかりでなく、加えて数百人が人道的考慮により、在留を認められているなど、制度改善が見られることを評価した。また、難民の統合については、特に彼らが教育、就職の面で厳しい現状に直面していることを取り上げ、まだ反省の余地があると指摘した。最後に、UNHCRに対して、まだまだ仕事はこれからであるということを付け加えた。

アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、毎年日本を訪問しているが、今年の訪日は、東日本大震災によって未曾有の災害に見舞われたにもかかわらず、日本人の強靭さ、勇気、決意に特に感銘を受けたものとなった、と述べた。通常はこれほどの災害を経験したあとでは、政府や一般の市民は内向きになりがちであるが、日本は世界各地で支援を必要としている人々のことを忘れず、2011年、過去最高の財政支援を行うことを約束してくれた。UNHCRは今年、世界各地で同時に発生した危機(コートジボアール、リビア、シリア、イエメン、スーダン、南スーダン、アフリカの角など)に対応せざるを得ず、日本からの支援は大きな助けになった、と語った。
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グテーレス高等弁務官はまた日本の第三国定住による難民の試験的受け入れプロジェクトが終了した後も、このプログラムが継続されることに期待を寄せた。最後に、難民の保護の歴史には、忘れてはならない人物が2人いる、それは、フリーチョフ・ナンセンとサダコ・オガタである。多くの人が緒方理事長の足跡をたどることを希望する、と結んだ。

NGOのネットワーク、J-FUN (日本UNHCR−NGO評議会)とFRJ(特定非営利活動法人なんみんフォーラム)を代表して登壇した日本国際社会事業団の大森邦子常任理事は、国内、国外を問わず、難民や避難民の問題の恒久的解決は、国家の関与と国際協調なくしては実現は困難であるとし、職員の安全確保と危機管理の能力強化などについてNGOと政府の協力の重要性を説いた。日本国内においては、難民申請者が他の犯罪者と一緒に収容されていることを取り上げ、2011年、UNHCRの働きで、官と民が情報交換をしながら一緒に話す場がもたれるようになったことを評価した。難民の第三国定住のプログラムについても、関係政府機関、市民団体、そして難民が密接に連携を行っていたインドシナ難民受け入れプログラムを例にとり、そうした協力関係の重要さを訴えた。
より充実した国際協力に関する教育環境を早期に確立し、人道支援文化とも呼ぶべき土壌を醸成するために、各地に国際協力教育モデル校を設置したり、学校教育に難民問題を取り込むことを提案した。難民保護の主体は難民条約に加入している日本のコミュニティと難民自身であることを強調し、難民を尊厳ある人としてみなすことの大切さをアピールした。
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第一部の最後に登壇した、日本に在住する難民の人々が設立した難民連携委員会(RCCJ)のマリップ・セン・ブ事務局長は、日本政府、日本の人々のおかげで、彼女が抱いていた夢の多くが実現され、未来に対する希望が持てるようになった、と述べた。2010年に設立されたRCCJは、難民の声を政策立案過程に反映してもらうよう難民をまとめ、難民支援協力体制に難民の参加を促し、いずれは難民のエンパワーメントプログラムを実施するようなNPOに発展させていくことを目的にしていることを説明。今年秋に開かれた第二回難民円卓会議では、日本在住の難民が抱えている教育と就労の問題を取り上げたことを述べ、政府、NGO、難民、UNHCRが一同に会してこうした課題を議論する機会をもうけることの重要性を指摘した。

マリップ事務局長は、なりたくて難民になったわけではなく、難民にならざるを得ない状況に自分たちはおかれ、他の人々からの支援に依存しなくてはならなくなった、と述べた。「難民にも声がある。その声を聞いてほしい。わたしたちも、社会に貢献し、いろいろな面でその担い手になれるのだということを。」
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第二部 パネルディスカッション: 世界が直面する自然災害の脅威、増加する避難民−日本の役割

第二部は、国際社会が現在直面している地球規模の課題の一つとされている、自然災害と人の強制的移動についてのパネルディスカッションが行われた。近年の自然災害の増加により、避難を強いられる人の数が増えている。日本は今年の震災で壊滅的な打撃を経験した国であるということもあり、そこで学んだ教訓を他の国などと共有し、今後この問題に関して国際レベルでの議論に貢献するにあたって、最も適した立場にあると考えられている。また、人道活動に対する企業からの財政支援が近年増加する中、特に企業の社会責任としてさまざまな取組みを行っているファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正代表取締役会長兼社長も出席し、加藤敏幸外務大臣政務官、グテーレス難民高等弁務官、緒方貞子JICA理事長と意見を交換した。NHK二村伸解説主幹がモデレーターを務めた。

加藤敏幸外務大臣政務官は、1951年条約上定義されている難民と自然災害によって発生する避難民の違いを指摘し、後者をいかに定義し、どのように彼らへの対応をするかは国際レベルでの議論が必要であると述べた。日本政府の対応としては、緊急対策、防災体制作り、国連における防災指針作りの三本の柱をあげ、2015年に予定されている第三回国連防災世界会議を日本に誘致したいと述べた。

グテーレス難民高等弁務官は、自然災害そのものは新しい現象ではない。何が新しいかというと、人口の増加、都市化現象、気候変動、食糧危機、水不足など、様々な現象が相互に影響を与えることで、複雑なメガトレンドとも呼ぶべき、世界的な不均衡状態が生じており、より多くの人が強制的に移動することを余儀なくされている、と指摘した。それでは、日本には何ができるのか。第一に、警戒システムについて日本が持っている知識とノウ・ハウを他の国と共有すること、第二に、特に都市において防災、減災の分野でできることを共有すること、そして、第三に、緊急支援を行うこと。更に、自然災害によって追い立てられた人々の権利を守り、彼らの痛苦を軽減するために何ができるか、という議論に貢献すること、をあげた。

緒方JICA理事長は、準備の面から言えば、震災と人災は基本的には同じであり、国連は訓練された人材、必要物資の蓄積、発送のノウハウを持っているし、JICAも各地域に必要物資の供給準備、キャパシティがある、と述べた。しかしながら、政治的、社会的な差別、偏見、対立から生まれた人災の場合に解決策を見出すには、異なったアプローチをとる必要があると指摘。JICAは東日本大震災などの災害に一時的に貢献はできるが、誰をどこに帰すか、どんな人でも一緒に避難させるのか、などの問題になると、政治的、社会的な問題や長い間の偏見が残る。インド洋大津波に際して、JICAは土地台帳を凍らせ、津波の状況が落ち着き、住民が家を見出して戻ってきた後にそれが大きな役割を果たした。日本も大事な情報をどこかに保存しておく必要があるのではないか、という議論もある。守秘義務の問題もあるが、この問題は踏み込んだ議論が必要であろう、と述べた。
株式会社ファーストリテイリングの柳井正代表取締役、会長兼社長は、日本の若者の多くは日本の人口の三分の一が難民だということを知らない。「全商品リサイクル」の活動について、柳井氏は、1)年間に約6億点のユニクロ商品が全世界で販売されているが、そのうち約一千万点の服がこの活動を通じて回収されている。そのうちの90%がリサイクル可能である。服は難民の生活に潤いを与える。衛生上にプラスであることに加え、子供たちが学校にいくきっかけや、大人に外に出て働く機会を与える。ユニクロは4,300万人の難民に毎年一枚ずつ服を送ることを考えている。 2)ユニクロはソマリアの人道危機に対し、100万点の衣料品と200万ドルの義援金をUNHCRに寄付した。 3)難民キャンプに4人の社員を派遣。(2人は現在ネパールに滞在中) 4)年間50名ほどの難民をインターンとして受け入れ、そのあと優秀な人については会社での継続的勤務の機会を与えることも考慮中、など、さまざまな提案を行った。企業の社会責任のイニシァティブを通して、企業、個人のレベルでできることがあるのだということを日本の若者に知ってほしい、最も大切なのは、まず関心をもってもらうことだ、と語った。

続いて、会場からの質問が取り上げられた。世界的な景気の低迷を踏まえ、また日本は震災からの復興で財政状況が厳しい中、難民支援にいかに取り組んでいくのか。東日本大震災から日本政府はどのようなことを学んだか、特に政府による情報開示、透明性の重要性、援助を受ける側としての日本の対応、など。地球温暖化、自然災害などで人々が家を追われるという事態にいかに対応していくか。ユニクロは難民支援に関するプロジェクトを今後どのような方針で展開し、日本の人々に難民問題に関心を持ってもらうためにどのようなアイディアを持っているのか。UNHCRはアカデミックな分野との連携と彼らからの貢献をどのように考えているのか。世界が求めている人材とはどのようなものか。などの質問にパネリストがそれぞれ回答した。

結論として、二村氏は、第二部のディスカッションがこのあと、12月のジュネーブの閣僚会議や、COP17において引き続いてなされることを希望している、と述べた。難民問題については、今年は日本がミャンマーからの難民を第三国定住で受け入れて2年目になる。受け入れ過程でいくつかの課題があがってきており、政府、地方自治体、NGOなどの緊密な連携関係の必要性を指摘する声もある。このプログラムにおいても、日本がもっと開かれた社会になることを望むと付け加えた。特に、インドシナ難民についてみれば、彼らが国に帰ったあと、政府の要職についたり、弁護士になったりした人がおり、そういった人々が日本と彼らの祖国の橋渡しになってくれている。緒方理事長の話にあったように、企業、そして市民一人ひとりがより深く関わっていかなければならない問題である、と述べて、ディスカッションを締めくくった。

■シンポジウムに関するウェブストーリーは こちら
■シンポジウムのプログラムは こちら