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UNHCR70周年:難民支援に誇りを、“お祝い”ではない記念日

1958年1月、オーストリアに逃れてきたハンガリー難民の家族
© UNHCR/Szabo

2020年12月18日

2020年12月14日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は設立から70年を迎えました。当初は3年で役目を終えると考えられていた組織にとって、この日は決して祝うべき記念日ではありません。

▶Who We Are~UNHCR70周年のあゆみ 動画はこちら

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フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官

第2次世界大戦後の荒廃の中で世界が再建に向けて動き出していた時、UNHCRはヨーロッパで故郷を追われた人たちの支援という任務を託されました。1950年12月14日に期間限定の組織として設立され、UNHCRの活動は非政治的なものであると明確に定められました。まるで、がれきと一緒に取りはらわれた苦境を思い起こすようです。

国際秩序の変化の中で、新しい紛争が発生し、さらに多くの難民が発生しました。1956年にはソ連侵攻によるハンガリー動乱で、20万人がオーストリアに逃れました。翌年チュニジアでは、隣国アルジェリアでの独立をめぐる紛争により、国境を越えて何十万もの人が安全を求めて逃れたためにUNHCRの支援が求められました。

それから、私たちのミッションは拡大を続けました。脱植民地化の時代には権力をめぐる衝突が起こり、何百万という市民が激動の渦に巻き込まれ、解放に向けた争いが続きました。そして年を追うごとに、中央アメリカからサハラ以南アフリカ、ベトナム、カンボジアまで、あちこちの大陸で故郷を追われる人は増加を続け、UNHCRの支援が必要とされました。

昨年、アフガニスタンでの強制移動が始まって40年がたちました。来年は、シリア紛争から10年になります。こういった望まない“記念日”が続くなかでも新しい紛争が発生し、また、かつての紛争の影響が残るなかで再度争いが起こっている地域もあります。この70年、平和な時代に向かうことを誓った世界は、争いごとを起こすのは得意でありながら、解決するのはうまくないことははっきりしました。

結果としてUNHCRは幾度となく、故郷を追われた脆弱な立場の人を保護するために、あらゆる支援を求められることになりました。これは時に妥協を伴いました。その国や国民の重要な決定がなされる時、UNHCRは普通はその“部屋の中”にはいません。しかし、私たちは確かに難民支援の現場にいて、争いが解決されずに避難を余儀なくされた人たちを支援しています。私たちの活動の非政治的性質はUNHCRの規定に定められていますが、多くの危機の中で活動し、多くの緊急事態への対応を行っているため、時に複雑な外交の要素を含みます。厳しい決断、実に難しい選択を迫られることもあります。それでもただ、現場のニーズに遅れをとることないようリソース携え、多大な増加を続ける脆弱な立場の人たちに支援を届けようとしてきたのです。

UNHCRの同僚は昔も今も、自分たちの活動によって起こった変化、自身が保護し、守り抜いた命に大きな誇りをもっています。気候変動、最近では新型コロナウイルスのパンデミックの影響のように、新たな困難に誇りをもって立ち向かっています。こういった要素は、強制移動によって引き起こされる課題の悪化にもつながっています。

同時にUNHCRの同僚たちは、こういったUNHCRの仕事に取り組まなくてすむのなら、とも思っています。争い合っている人たちが停戦に合意したら―。故郷を追われた人たちが故郷に安全に帰ることができるのなら―。各国政府が第三国定住の責任を共有したら―。庇護に関する国際法、ノン・ルフールマンの原則のもとに、それぞれの国家で難民保護が行われるなら―。命の危険から逃れてきた人たちが、元いた場所に送り返されることがないのなら―。UNHCRが懸念すべきことも少なくなるでしょう。

そしてもちろん、私たちはこれらすべてを何度も呼び掛け続けてきました。

1994年、私は当時のザイール、現在のコンゴ民主共和国に派遣されたUNHCR緊急対応チームの一員でした。4日間にわたり、100万人がルワンダから国境を越えて逃れ、コレラの感染拡大により何万もの人の命が奪われました。人々を守ると誓ってミッションについた私の同僚は、代わりに墓を掘らなければなりませんでした。たとえ、自分が救えた命があったとしてもー。ある難民の絶望があなたの努力によって希望に変わったその瞬間でもー。あなたは決して、救うことができなかった命について考えることをやめないでしょう。

1年ほど前、難民、国内避難民、庇護申請者、無国籍者の数は、世界の人口の1%に達しました。私は考えました。何%だったら私たちは受け入れられないのか、2%なのか、5%なのか、それ以上なのか。政治のリーダーが紛争の原因の解決に向けて動く前に、強制移動による喪失、屈辱に、いったいどれほどの人が苦しまなければならないのでしょうか。

このUNHCR70周年を機に、私が国際社会に対して求めたいのは、私が仕事を失うようにすること、です。避難せざるを得ない人が誰一人存在せず、難民支援機関であるUNHCRが本当の意味で必要がなくなる世界をつくることを、あなたの目標としてください。誤解しないでいただきたいのは、現状では私たちの仕事は必要不可欠です。しかし同時に、私たちは存在すべきでないのです。私たちがこれからもっと“バースデー”を迎えることになるのなら、結論はただ、国際社会は失敗したということになります。

しかし、もし大規模な強制移動につながった要素が5~6カ国ででも解決されたとしたら、何百万という難民が、同時に、何百万もの国内避難民が故郷に戻ることができるでしょう。これこそがとてもよいスタートであり、私たちみんなが、本当にお祝いすべきことなのです。

 

▶原文はこちら

 

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