アフガニスタンの女性が柔道に打ち込める環境をつくりたい(前編)

カナダで柔道コーチをしている元アフガン難民フリーバさん(中央)。 自身が柔道に出会ったアフガニスタンの道場に通う2人を連れて、今年1月にNPO法人JUDOsの日本での研修に参加した
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イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ・・・

東海大学湘南キャンパスの柔道場に響き渡る力強い掛け声。畳の上を何度も行き来しながら、柔道部の学生たちが稽古に励んでいます。

その中に、覚えたての日本語で数を数えながら、真剣なまなざしで稽古に参加している選手たちがいました。NPO法人JUDOsの招へいで、東海大学での2週間の研修に参加するために来日したアフガニスタン出身の3人の女性アスリートです。

柔道の発祥の地の日本でトレーニングができる―。彼女たちにとって、それは本当に特別なチャンスでした。アフガニスタンで同じ道場に通う若手2人の選手は初海外。生まれて初めてパスポートを手にしました。

そしてもう1人が、今回の来日のきっかけをつくったフリーバ・レザイーさん。もしかすると、日本でも知っている人がいるかもしれません。柔道女子70キロ級、フリーバ・レザイー。2004年アテネ五輪に出場したアフガン女性初のオリンピアンです。

そして今から約10年前、アフガニスタンを逃れてカナダに渡った元難民でもあります。

アフガニスタンで生まれたフリーバさんは1990年代、イスラム原理主義組織タリバンの抑圧から逃れるために家族と一緒にパキスタンに避難しました。「現地の人と同じ権利を持つことができず、限られた収入での苦しい生活でした」。それでもUNHCRなどの支援で教育を受け、活発な少女だったフリーバさんは、ボクシングなどのスポーツにもチャレンジしていました。

そして2001年のタリバン政権崩壊後、アフガニスタンに戻ったフリーバさん一家。女性に対する制約も少しずつ解放が進み、学校に通うこともできました。でも男女は別々、黒のロングコート、白のスカーフで身を包んでの通学。どこか、生きづらさを感じていました。

そんな中、2002年に運命的な出来事が訪れます。柔道のコーチとの出会いです。「まるで昨日のことのように覚えています。柔道の魅力を教えてくれたコーチのおかげで、私の人生は大きく変わりました。私は恋に落ちたんです、柔道に」。

しかし当時のアフガニスタンでは、“女性がスポーツ、しかも格闘技をするなんて” と厳しい目を向ける人もまだ多くいました。家族も半分が賛成、半分が反対。懸命に稽古に励むフリーバさんに、女性にも平等にスポーツをする機会が与えられるべきだと、コーチは励まし続けました。

その努力と情熱は、彼女を夢の大舞台へと導きました。2004年アテネ五輪に、アフガニスタンは男女混合チームとして初めての出場が決定。フリーバさんはなんと、アフガン女性初のオリンピアンの1人に選ばれたのです。

「2004年8月、第1戦の日は忘れることができません。『君がアフガン女性として初めて、オリンピックスタジアムに足を踏み入れるんだよ』。もう1人の女子の陸上選手の試合は数日後だったので、試合前にコーチからそう背中を押されました。オリンピック出場の重みを感じました」。

2000年のシドニー五輪は不参加だったアフガニスタン。母国を″世界地図”に戻すことができた、アフガン女性にスポーツの道を切り開くことができたとを実感し、とてもうれしかったと言います。

しかし、帰国してからの毎日は厳しいものでした。悲しいことに、女性のオリンピック出場を歓迎しない声が大多数だったのです。「当時、私はショートカットの髪を赤く染めていたので、外を歩くだけで目立っていました。石を投げられたり、暴言を浴びせられたり。怪文書が送られてくることもありました」。

それでも“柔道は自分のアイデンティティ”だと、情熱を失わなかったフリーバさん。自宅から道場まで徒歩で片道40分。その時間はまさに“地獄”。命の危険も感じていました。

フリーバさんの人生はまた大きく動きます。カブール市内で働いていたカナダ人男性との出会いです。「私にとっては、出身も人種も関係ありませんでした。一人の人間として、彼とずっと一緒にいたいと思ったのです。でもそれも、ここでは普通ではありませんでした」。結婚を決めた2人への視線はますます厳しくなり、安全を求めてパキスタンに一時退避しましたが、故郷の状況は改善されず。2011年に夫の故郷であるカナダに行くことを決意し、難民認定を受け永住権を取得しました。

気がかりだったのは、アフガニスタンに残してきた家族の存在でした。その一人、姉の影響を受けて13歳から柔道を始めた妹のファティマさんは、厳しい環境の中で努力を続け、国際大会でも成績を残すほどになっていました。

そして、その活躍を取り上げた日本の新聞記事が、当時東海大学体育学部に勤めていた光本恵子さんの目に止まったのです。

「アフガニスタンでは女性の立場が低く、スポーツをすることも命がけだと知りました。それでも嘉納治五郎先生の『柔道は教育的スポーツである』という教えに感銘して、稽古に励む女性アスリートの助けになりたいと思ったんです」と光本さん。記事の情報を基にファティマさんを探し、2012年のロンドン五輪を目指していた彼女を東海大学柔道部で半年間受け入れました。結局、オリンピック出場はかないませんでしたが、日本での充実した日々について、姉のフリーバさんにうれしそうに語っていたと言います。

その縁もあり、2014年にはフリーバさん自身が東海大学を訪問することに。世界一の環境でトレーニングができた、夢のような2週間でした。

その後は、自分のようにカナダに逃れてきた人たちへの支援活動に携わりながら、選手から指導者へとキャリアを移して柔道を続けていたフリーバさん。光本さんとメールを通じた交流も続いていました。そして2019年、指導者としてのスキルアップのため、光本さんはフリーバさんに東海大学で行われるコーチングセミナーへの参加を提案しました。

でも返ってきたのは、想像もしなかった別の提案でした。「今でもアフガニスタンで困難に立ち向かっている女子柔道選手はたくさんいる。私よりも、彼女たちをサポートしていただけないでしょうか」。驚いた光本さんでしたが、その答えは「もちろんです!」。さまざまな人の協力を得て、アフガニスタンから女性アスリートの招へいが決まりました。

 

後編につづく