インタビュー Vol.5 司法を通じて難民支援をする 宮内博史さん

©UNHCR

弁護士として難民支援に奔走する傍ら、大学やNGO主催のセミナー、さらに海外でも国際人権法などの講演を行っている多忙な宮内さん。なぜ弁護士として難民支援をしたいと思ったのか、その思いとは・・? さわやかな笑顔で「難民問題の解決に全人生をかけたい」と熱く語る若手弁護士、宮内博史さんにインタビュー。

―現在のお仕事について教えて下さい。

公設事務所に所属しています。公設事務所は貧困や障がい、言語の違い等、様々な要因によって弁護士に辿り着けない方々のための「法的駆け込み寺」として作られた事務所です。

なかでも、自国からの保護を受けらない難民は法的支援を必要としている最も脆弱な方々だと思っています。私は、そのような難民の方々の難民認定を求めて、行政手続や裁判手続で代理人として活動するなどしています 。

―弁護士になろうと思われたきっかけはなんですか。

きっかけの1つは中学時代に学んだ公民権運動です。
白人席から最後まで立ち上がらなかったローザ・パークスの話、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのスピーチが今でも心に残っています。尊厳や平等のために立ち上がった先人たちを見て、いつしか自分も人々を守れる仕事がしたいと思いました。

その後、大学時代に法律事務所でアルバイトした際、日本に逃れたアフガン難民が多くの苦難に直面していたことを知りました。そのようなアフガン難民のために一生懸命活動している弁護士の姿を間近で拝見して感銘を受けました。それまで難民が日本にいるとは知らなかったのですが、「これだ!」と思ったのです。これを機に、難民支援に携わることを目標に弁護士を目指しました。

事務所で相談を受ける宮内さん ©H.Miyauchi

難民問題の解決に全人生をかけたい

―依頼者である難民との関わりから感じることは何ですか?

弁護士になってから何人もの難民の案件を担当してきました。収容された方、家族が何年も離散したままの方、事務所の打ち合わせに来るための交通費さえ持ち合わせていない方、母国での体験が原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神障がいを抱えた方、理想だけでは乗りきれない厳しい現状を多く見てきました。でも今日まで、難民支援に携わったことを後悔したことはありません。私としては難民問題の解決に全人生をかけたいと思っています。

―これまでの活動の中で特に印象に残っているのはどんなことですか?

初めて依頼者が難民認定を受けた時の喜びは忘れられません。認定が出た旨を電話で聞いた時、受話器を持っていた手はしばらくふるえたままでした。その方が難民認定証を持って来られた時、それまでの苦労が思い出され涙がこぼれてきました。

また、家族が何年も離ればなれになったままの難民の再会をお手伝いすることがありますが、再会の場に立ち会えた瞬間も胸を打たれました。難民認定も大事ですが、真の意味での尊厳と安心を取り戻すためには、家族との再統合がいかに大事かを知りました。今では、「認定のその後」の問題も考えていかなければならないと自負しています。

さらに、最初は全く日本語が話せなかった難民の学生が、数ヶ月間夜間学校などで勉強した結果、日本語で会話できるようになっていた時もとても嬉しかったです。若いにもかかわらず、色々な苦悩を乗り越えながら、異国の地で生き抜こうとする姿を見て、胸が熱くなりました

 

「日本に来なければよかった」と言われた時が一番辛い

 

―やりがいを感じるとき

日本国内の活動も大いにやりがいを感じますが、難民支援のダイナミズムは国境を越えるところにもあると思います。これまで、タイとミャンマーの国境でミャンマーの青年たちに国際人権法を教えてきました。多くは少数民族の出身でキャンプで育った学生たち。講義を受けた学生はその後キャンプや出身地、あるいはミャンマー国内で弁護士やNGO職員として、法の支配と人権保障のために活動しています。このような活動にも大きなやりがいを感じます。

タイ・ミャンマー国境で国際人権法の講義を行なう様子 ©H.Miyauchi

―今後の課題

日本で難民認定を受けることは決して容易ではありません。そのため、これまで苦しい環境にいる難民を多く目の当たりにしてきましたが「日本に来なければよかった」と言われた時が一番辛いです。そのような言葉が聞かれない日を切に願って、どのようにしたら国際基準を日本の難民認定実務に反映できるかを常に考えています。海外の判例や文献を調査したり、UNHCRやNGOからアドバイスをいただいたり、在外研究を通じて情報の収集をしたりしていますが、今後も自分にできることを追求していきます。

―好きな言葉・好きな本・映画・音楽など

スポーツ、特にラグビーが好きです。高校時代はラグビー部でしたが三十代の現役復帰を目指して、トレーニングを重ねています。印象に残っている本は山崎豊子著「二つの祖国」、池井戸潤著「下町ロケット」。特に「二つの祖国」は日系二世が主人公なのですが、自分自身が米国で育ったこともあり、色々と考えさせられました。映画館で泣けた映画は、クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」、エリック・ロレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督の「最強の二人」、ジュリオ・マンフレドニア監督の「人生ここにあり」、土井敏邦監督の「異国に生きる」です。

好きな曲はコブクロの「轍」、ケルティックウーマンの「you raise me up」。プレッシャーやストレスで押しつぶされそうなときは、この曲を聴いて、心に感謝の言葉を唱えてまた進み出すようにしています。

 

国籍や人種に関わらず、全ての人が尊重しあえる社会に

 

―今後の展望・夢

そもそも普通に生活していた人が「難民」にならないようにする為にはどうすれば良いのかという根源的な問題にとりくむ必要性を感じています。人の心に平等、尊厳といった人権の概念が根付けば、差別や迫害を受ける人が減るのではないかと言う思いもあり、国内外で人権に関する講義を続けています。このような思いを実現するため、今後は難民支援の場を国際的なフィールドまで広げたいと思っています。

―メッセージ

難民は社会を映し出す鏡です。
どのような人を保護するかは、その国家の「人権」や「人」との向き合い方を計る指標だと思っています。

難民が保護され、尊厳を持って生きていける社会は、きっと他の人々にとっても住みやすい社会ではないでしょうか。国籍や人種に関わらず、全ての人が尊重され、尊重しあえる社会を目指したいです。私の役割は、そのために難民とともに活動することだと思っています。

取材日:2014年8月26日

 

プロフィール

1984年福岡県生まれ。2歳から13歳まで米国在住。早稲田大学法学部、一橋大学法科大学院卒業。2008年に司法試験合格。2009年にUNHCRインターン修了、弁護士登録(東京弁護士会)。現在、弁護士法人東京パブリック法律事務所 外国人・国際部門にて勤務。その他、日本弁護士連合会人権擁護委員会難民認定問題特別部会、東京弁護士会外国人の権利に関する委員会、全国難民弁護団連絡会議、認定NPO法人難民支援協会、国際人権法学会、Asia Pacific Refugee Rights Network (APRRN)などに所属。